BBS 2003.Jul.9
Rep:中西
Fuzzy-Trace Theory: Judgment and decision-making
Valerie F. Reyna
fuzzy trace theory (FTT. 以下同様)
判断と意思決定への直観論的アプローチ
記憶表象と判断過程における2区分 - 二重過程モデル
逐語的同一性[verbatim identity]、要約的類似性[gist similarity]
他の二重過程理論のように直観は形式的分析と対比されるが、
「直観は認知の高度な形態[advanced mode]である」と主張
“ヒューリスティックとバイアス”アプローチや適応的-生態学的アプローチとの違い
FTTは対抗する二重過程を想定することで人の推論の非一貫性を捉える。
キーコンセプト:
1) 推論者は、認知的柔軟性を与える要約的、逐語的な多重表象を符号化する。
2) 推論者は、課題が許す限りで最も正確でないレベルの要約[gist]を操作する。熟達化につれてますますそうなる。
3) このような単純化された質的処理は、計算量の結果ではなく、推論のデフォルトモードである。
推論を合理的/非合理的と分類するのではなく、合理性の程度[degree of rationality]を考える。合理性は不変の特性ではなく、課題によって、発達段階によって、変化するもの。
□ Memory Limitation and Higher
Cognition
伝統的な仮定:
『短期記憶もしくは作動記憶の制約が推論、判断、意思決定の正確さを定める。』
Herbert Simon (e.g., 1954)「人の合理性は記憶の限界によって限定されている」
顕著なのはMiller(1956)
多くの研究でこの予想される依存性を検出できず、この仮定は攻撃される立場にある。
この考えを直接的にテストしたこともあった(Reyna,
1992; Reyna & Brainerd, 1992)。
このテストから3つの結論が浮かび上がった。(Reyna & Brainerd, 1995, for a review)
1) 単純化された処理は記憶負荷を反映しない。
2) エラーを産出する課題はほとんど記憶を要求しない。
3)
課題が記憶を要求するとき、推論者のパフォーマンスはその要求とは独立である。
Table 1、2 -- 判断や意思決定においてエラーや少なくともバイアスを引き起こす課題の例
Conjunction fallacy task
Tversky & Kahneman (1983)はこの効果を代表性ヒューリスティックに帰属した。
T & K曰く
「人の情報処理は適応的であり、ヒューリスティックは通常はエラーを生み出さない。」 ← “ヒューリスティックとバイアス”アプローチの標準的な見解とは違う
T & Kはこのような認知的錯覚を処理の性質を明らかにするために研究した。
現在の生態学的な理論家は、人間の巧妙さと処理資源保存への欲求に関してはT & Kと考えを共にするが、ある振舞いがエラーであるかどうかについては賛同しない。
認知的節約、効率性、”速く倹約的な[fast and frugal]”処理に対する証拠はたくさんあるが、単純化された処理への証拠は、記憶限界を指摘する証拠と同じではない。
単純化された質的処理は、複雑な課題だけでなく、記憶容量などの情報処理限界ではパフォーマンスを説明できないような条件下でも生起する。
単一の問題や意思決定課題が提示され、処理する次元は2次元のみ(例えば結果と確率)であり、情報は書き出されていて、時間に制限はなく、必要な量的操作は実行するのが容易なもの(例えばTable 1)
さらに、記憶限界は、同じ記憶的制約を持つ問題で量的処理が行われるという事実を説明できない。(saving
200 lives vs. 1/3 chance of saving 603 lives)
課題情報の詳細な記憶を増進すると、特定の条件で推論の正確さが減少した(Brainerd & Gordon, 1994; Brainerd & Reyna, 1993)
従って最新の記憶研究は、”ヒューリスティック”や”速く倹約的な処理”の背後にある理論的根拠「認知的簡便法は記憶資源を保存しなければならないために生じる」を切り落としている。
さらにもう一つ
心的努力や処理干渉といった概念を記憶資源と区別することが重要。
最近の記憶研究から判断と意思決定研究への2つの警告
□ Alternatives to Generic Resources:
Dual Memory Models
伝統的な記憶モデル:
多くのタイプの情報を表現するのに用いられ、様々な目的で(処理も表象も含めて)利用される(何でもそこに入れて、なんでも取り出す)“一つの”記憶があるという意味で、一般的な処理資源を仮定する。
一般的容量仮説は多くの発見によって攻撃されてきた。
容量は一般的というよりも内容固有的である(Brainerd & Reyna,
1990; Hasher & Zacks, 1988)
容量の効果として解釈された現象はおそらく干渉の効果である(Reyna & Brainerd, 1989)
二つの記憶システムの区別は伝統的な短期-長期記憶の区別を説明するために用いられる。短期-長期の区別は必然ではない。
互いに矛盾するように見える(が二重過程で説明される)質的データパタンの一例
反復と深い処理(or意味的処理)はどちらも記憶を改善することで知られる。
Payne & Elie(1998)
意味的に関連する単語のリストを学習するときに単語を反復提示すると提示された語の再認率が上がり、一度も出ていない関連語の誤再認率が減少する。
Toglia, Neuschatz, Goodwin(1999)
同じパラダイムで、深い処理をすると提示された語の再認率が上がり、出ていない関連語の誤再認率も上がる。
二重記憶過程の研究における4つのアプローチ(Table 3も参照)
1) 課題ベース(Roediger, Weldon, & Challis, 1989, for a review)
あるタイプの記憶(統制的、意識的、顕在的と呼ばれる)は直接的な記憶課題(e.g. 手がかり再生)、もう一方のタイプの記憶(自動的、無意識的、潜在的と呼ばれる)は間接的な課題(e.g. 単語完成課題)のパフォーマンスでそれぞれ同定できる。
2) プロセス分離(e.g. Jacoby, 1991)
Mandler(1980)の想起 / 親近性[recollection / familiarity]の区別
2つの異なる教示のもとで再認判断を行わせ、単純な数理モデルを用いて想起と親近性を推定する。
3) ROC
4) 対応再認(Brainerd, Reyna, & Mojardin, 1999)
FFTの同一性 / 類似性の区別に関するアプローチ
3種類の教示で再認を行って数理モデルにより同一性と類似性を測定する。
□ How Principles of Memory Explain
Judgment and Decision-Making: A Fuzzy-Trace Theory Analysis
FTTの仮定:
推論者は情報から逐語的、要約的表象をそれぞれ独立に抽出し、判断や意思決定においては主として要約的表象に頼る。
⇒ 推論と記憶の独立性を説明できる(記憶課題はしばしば逐語的表象の正確さを要求するから)
曖昧な処理を好むこと[fuzzy-processing preference]は推論課題に利がある。
要約的表象は時間経過に対してより安定しており、逐語的表象と比べて操作も容易だから。
単純で質的な要約表象への依存はその領域での専門性が高まるにつれて増加するようだ(Reyna
& Brainerd, 1991; 1995)
要約表象への依存の発達的な増加は子供の知識獲得にも(Reyna & Ellis,
1994, etc.)大人の熟達化(Reyna, Lloyd,
& Whalen, 2001, etc.)にも適用できる。
推論者は同じ情報から複数の独立な表象をfuzzy-to-verbatim continuumに沿って符号化する。
逐語的で表面的な詳細から ~ 入力の核心的意味を保持する漠然とした要約まで
これらの表象は測定尺度水準に似たような要約の階層構造を形成する。(Reyna & Brainerd, 1995)
“二重の” 要約的、逐語的記憶とは、様々な正確さでの表象の連続体の両端点のこと。
複数の正確さの異なる表象を利用できることは、認知的柔軟性を与える。
推論とは「直観的で曖昧な過程である。」
FTTは他の二過程理論と重要な特徴を共有するが、以下の点において異なる
・ 高度な推論は、直感的で並列的である(cf. Sloman, 1996)
・ 要約的表象は推論者が表面的に異なる問題を同様に扱うことを可能にし、合理性の一貫性基準を満たす。(Tversky & Kahneman, 1986)
fuzzy-processing
principle
推論者は課題を遂行するのに用いることができる最低の(最も正確でない)要約表象を操作する傾向がある。
例.「$5,827と$68のどちらかを選べ」
要求される最小限の区別は、前者のほうが金額が”多い”こと
more or less判断。正確な差異は選好に必要ない。
fuzzy-processingはデフォルトだけども、推論者は認知的に柔軟である(Reyna & Brainerd, 1995)
推論原理やヒューリスティックも要約表象への単純な操作と同様、長期記憶の中に漠然と表象されている。
例えば、フレーミング問題では、意思決定者は「何人かの人を助けるのは誰も助けないより良い」というような一般的原理に基づいて反応する。(Reyna & Brainerd, 1991; 1995)
選好は完全に構成されるものではなく、前もって存在する価値や原理に基づいている。
質的記憶表象では問題の形式と価値や原理との互換性が重要。
問題情報を要約レベルで表象することによって、推論者は問題を漠然とした要約レベルである価値や原理に対応づけることができる。
Table 4 はFTTで議論されてきた価値や原理。(これらはどの問題状況でも普遍的に妥当である訳ではない。)
例えば、平等性の原理「すべての人は同じ確率で生き残るべきだ」は「何人かを助けることは誰も助けないより良い」という原理と競合する。
⇒ フレーミング問題で確実に生き残る200人が人種や収入で選ばれていたとしたら、多くの被験者はギャンブルの方を選択するだろう。
平等性の原理は標準的な問題の形式では引き出されてこない。
特定の表面的に異なる文脈において一般的推論原理の適切さを認識する能力が、高度な推論のもう一つの特徴である。
価値や感情の概念と認知的表象や処理との結びつき
Klaczynski & Fauth(1997)
感情と認知が自己奉仕的バイアスによって特定の方法で交互作用する。
証拠が信念を支持するときは質的要約の処理というデフォルトモードに依存し、証拠が自己についての信念と矛盾するときは同じ被験者が(好まれない)逐語的レベルの統計的推論を行う。
道徳的価値と意思決定原理との類似性
漠然と表象された原理が課題要求、問題表象、文脈中での原理の検索、処理干渉とどのように交互作用するか …
後の議論へ(see Table 5)
Degree of Rationality
□ Judging Rationality Requires an
Analysis of Reasoning Errors
判断と意思決定の研究が現実世界の問題に適切なものであるためには、研究者はある行動が非合理的だと明確にラベリングすることを尻込みしてはいけない。
合理性とは、目標がたとえどう思い誤り、現実と矛盾し、自己破滅的であるとしても、人々がその目標を達成することを助けること、ではない。(?)
認知の質を判断するにあたって「目標の選択」は格好の的である。
ベストセラーの本のタイトル「私が横になったとき、ベッドは燃えていた」
10代の若者はなぜ酔っ払いの運転手と一緒に車に乗るのか?
人々はなぜ間違いだと分かっていても結婚するのか?
なぜ同じことを何回も行うのか?
「結婚することが、楽しむことが目標なんだ、そしてその行動は目標を満たしている」と言えば十分なのか?
合理性を判断することは、思考の性質についての理論的洞察がなければ難しい。
⇒ 推論エラーの種類を区別する分析が必要。
□ Knowledge of Reasoning Principles: Competence
successfulな推論とは「背景的事実として与えられた多くの関係性の中から課題に適切な関係性を選択し、その関係性に適用可能なものを多くの原理の中から検索し、その原理を一貫して適用する」こと
適切な推論原理についての知識は必要であるが、これがエラーの主なソースであることは稀である。
推論エラーは典型的に、関係事実についての素晴らしい記憶と正しく問題を解決する能力があるにも関わらず、生じる。
FTTの直観論的見地:
推論は動的で、並列的で、不確実な過程であり、そこでは同じ情報について多重の表象が符号化され、適当な推論原理がある確率で引き出され、処理の実行も時には信頼できないものである。
⇔ 良い推論の通例の定義(系列的、論理的、正確)とは対照をなす
推論能力の概念を合理性の詳細(コンポーネント)へと分解
適切な知識、表象、検索、処理 ・・・ Table 5
合理性の各コンポーネントはTable 5のように格付けされる。
合理性を「それぞれの事項で適切な処理を行うことを守る程度」と定義する。
推論原理の無視(知識能力の不足)は最も悪いエラーである。
□ Verbatim Interference in Gist Tasks
要約的な課題において逐語的な表象を操作するという表象的誤り。
字義通りの思考、メタファー的理解の欠如(Reyna, 1996)、低レベルの倫理的推論(Reyna & Brainerd, 1991)、推論課題で言われたことの文字への執着(Brainerd & Reyna, 1993)
例.実験者が「鳥はかごの中にいました」「かごはテーブルの下ありました」と言うと、子供はこの2つは認めるが「鳥はテーブルの下にいました」は否定する。(なぜなら「それは言ってないから」)
大抵の判断や意思決定課題は要約的課題である。
□ Failure to Encode Appropriate Gist
適切な要約を符号化することの失敗。(おそらく正しい事実を符号化しているが、それは意味のないことであるときこれが起こる)
問題を解く鍵となる背景情報における抽象的な質的関係の(意識的/無意識的)認識の欠如。(1つ前のエラーと違うのは、推論者は必ずしも逐語的表象を操作する訳ではないこと。)
推論者は「わからない」。(その判断や意思決定が実際に何について聞いているのかを理解していない。)
非常に知的な人々がこの種のエラーを犯す。
なぜ賢い人々(必要な能力を持っている人々)がまずい推論や愚かな選択をするのか?
⇒ 初期の処理の構造化段階において判断や意思決定の要約についての洞察が欠如していることが責任の一端であろう。
逐語的詳細を無視し、問題の基本的本質を知覚する能力が合理性の明らかな特徴である(Reyna
& Brainerd, 1993, 1994, 1995)
□ Gist Interference
競合する要約からの干渉によるエラー。
推論者は問題の適切な要約的表象を符号化しているが、それを用いることに失敗する。
Reyna & Brainerd(1993)の挙げた例
公園の危険な遊具についてのニュースレポートで、ある遊具(例えば滑り台)で遊んでいた子供が事故にあう確率は、事故があったときに子供がその遊具で遊んでいた確率と混同されている。
⇒ よって最も危険な遊具でなく最も人気のある遊具が公園から取り除かれる。
このような間違った要約は現実の正確な表象ではあるが、当面の課題にとっては不適切である。
競合する要約からの干渉は、必ずしも推論者を混乱させる訳ではない。
自分の考えていることが完全に適切な解であると思っていることもある。
e.g. class-inclusion 課題「牛が多いですか?動物が多いですか?」での子供
□ Failure to Retrieve Relevant Reasoning Principles
適切な関係性を符号化するのに失敗していたり、不適切な関係性がより適切なものよりも顕著であったりすると、正しい推論原理は検索されないだろう。(Reyna & Brainerd, 1991)
もし正しい原理が検索されなければ、処理の技術を改善するような実験操作は効果がないだろう。(Brainerd & Reyna, 1990; Reyna, 1991)
ピアジェのclass-inclusion問題の聞き方「動物が多いですか?牛が多いですか?」はミスリーディングである(エラーを引き起こすには十分でないが)。
大人でもこの質問によって反応時間は増加する。(Rabinowitz, Howe, & Lawrence, 1989)
class-inclusion課題の不明瞭なバージョン(conjunction fallacyなど)は大人であってもエラーを犯す。
子供はclass-inclusion問題を聞かれてから反応までに少なくとも15秒待つと、エラーが減少する。
□ Processing Interference
一旦検索されると、推論原理は一貫して適用されなければならない。
三段論法課題(Johnson-Laird, 1983; Reyna, 1991,1995)
すべてのAはBである
いくつかのBはCである
よって、いくつかのAはCである … ×
⇒ 周辺的メンバー(AでないBたち)を見失う。
表記システムがあれば見失わずにすむので処理エラーを排除できる。
e.g. ベン図を使うとエラーが有意に減少する
このような処理エラーは論理的能力のなさを反映しているのではなく、能力を実行において多重ソースからの干渉に対する敏感性を反映しているのである。
逐語的表象は特に干渉の影響を受けやすいので、詳細の処理を避け、より頑健な要約に依存すれば、これらのエラーを減らすことができる。
処理干渉はもっとも克服されにくいエラーである。
□ Summary of Errors
合理性とは推論が認知的理想に適合する程度である。
知識、情報の正確な表象、問題の要約の認識、表面的詳細よりも適切な要約的表象への依存、適切でない要約からの干渉への抵抗、文脈における適切な推論原理の検索、推論原理の一貫した適用
正確性とは現実との一貫性を意味する。
内的一貫性は意味的一貫性に基づくものであり、特定の確率理論に基づくものではない。
理想的認知は、現実世界との外的な対応と内的な首尾一貫性の両方を満たすものである。
抽象的推論原理の知識、検索、一貫した適用は理想的推論に要求されることだが、原理の妥当性は文脈との関係性によって決定される。
e.g. もしベイジアンの原理が問題を解くのに適切であって、推論者がそれを行わなかったら、エラーを犯すことになる。
適切性は課題それ自体の要求によって先験的に決定されるもので、人が何をするかよって後験的に決定されるのではない。
fuzzy trace theoryによれば、より多くの情報をより正確に処理することは(たとえそれができたとしても)合理性の鍵ではない。
実際に、推論者は要約と平行して逐語的詳細の処理をし、詳細の方により時間を費やしているかもしれない。
But 判断や意思決定は究極的に、課題の遂行に用いることができる最も正確でない要約(多い/少ない など)によって決定される。
要約[gist]はあふれた情報を積まされ過ぎたシステムの結果ではなく、逐語的処理が発生すると混乱してしまう、処理の好ましいモードである。
□ Overview
fuzzy trace theoryは推論の多様なレベルを同定する。
・推論における失敗は成熟した推論者でも起こる
・いくつかのバイアスは実際に加齢と専門化に伴って増加する
・推論はたいてい直観的である
// これらの事実は人の推論が非合理的であることを示すのか?
人の推論行為は時々合理的で、時々非合理的である – その程度が変化する。
fuzzy trace theoryは合理性の程度を特定するフレームワークを提供するものである。
矛盾と変動性は心の中にある。同じ心が、
量的であったり質的であったり、
自己規制的であったり衝動的であったり、
公正であったり自己奉仕的であったり、
論理的であったり感情的であったりする。
fuzzy trace theoristは、これらの傾向性の多くが適応的でないことを認めるという点で、最近の理論家たち(e.g.Gigerenzerのチーム)とは異なる。
Conjunction fallacy、Inclusion
Illusionもその一例。
要約への依存が干渉の効果を最小化し、一般的な推論の正確さを増強する。
要約への依存の増加についての発達的傾向は、人がより合理的であることを意味する。
合理性の最も基本的な基準は不変性である。
同じ情報についての表面的に異なる提示に対しても反応が一貫しているべきである。
この合理性の最小条件は、確率の考え方がベイズ的か頻度主義的か、などという話には関係ない。
情報の逐語的詳細よりも要約を操作することで、推論は表面的違いのある問題の間で一貫する。これが合理性の鍵である。