書評

(社会心理学研究,16巻,1号,2000,68-70掲載

 

亀田達也・村田光二(著)『複雑さに挑む社会心理学

:適応エージェントとしての人間』

2000年、有斐閣、246頁)

 

社会心理学研究におけるメタ理論の重要性

 

                    楠見 孝(京都大学)

 

1.はじめに:ただの「教科書」ではない

 「教科書はつまらない」「読み通せる書物ではない」

と思っている学生や研究者にとって、この本は「教科

書」ではない。カラー写真や資料の豊富な分厚い大判

のアメリカの「教科書」とも全く異なる。この本は、

A5版のコンパクトなサイズに、社会心理学の古典的成

果から最新の成果までが、一貫した視点によって論述

されている。それは、「適応エージェントとしての人

間」が 「複雑な社会−行動−認知システム」をどのよ

うに構成しているかを問う視点である。だからといっ

て、この本は、初学者が途中でギブアップしてしまう

本ではない。日常生活から政治、経済にわたる具体例

や、ユーモアのある読み物のような語り口によって、

読者は一気に読み通したくなるはずである。本書は読

みやすいだけではなく、私たちがつい陥りやすい過ち

への警鐘もある。たとえば、「集団を心をもった実体

と見なす誤り(例:組織の意思)」や「動機で説明す

る循環論(例:孤立を避ける行動から親和動機を推測

する;親和動機を満たすため孤立回避行動が起こる)

である。読者は、心理学の論理的思考法が、常識的な

説明とは一線を画することに気づき、少し立ち止まっ

て考えることの大切さを知るだろう。

 各章の構成も工夫されている。冒頭の「イントロダ

クション」は、全体の中の位置づけや日常生活に基づ

く問いによって、読者を各章に導いている。図表も見

やすく新しいデータが多い。そして、章末の「サマリ

ー」は読者の知識の整理を助け、「読書案内」では新

しい広範な文献が紹介されている。本書が取り上げて

いる成果は、社会心理学だけでなく、社会学、経済学、

人類学、認知科学、進化心理学、文化心理学、脳科学、

ゲーム理論やシミュレーションといった隣接分野にわ

たっている。読者は、社会心理学が、隣接分野の成果

や方法論を積極的に取り入れることの重要性を知るこ

とができる。また、それらの話題は新鮮で、私たちに

刺激を与えてくれる。

 もう一つの特徴は、各章の最後に、未解決の問題を

示していることである。従来のテキストでは、内容は

明らかになっていることであって、初学者にとっては

覚え、理解すべきことであった。このテキストは読者

を研究に導くテキストなのである。

 

2.本書の構成:適応とマイクロ-マクロ関係の視点

 序章「「人間の社会性」をどうとらえるか?:適応

論的アプローチ」(亀田)では、本書の二つの視点を説

明している。第一は適応的な視点である。序章は、「適

応とは何か?」さらに「人間にとって適応環境とは何

か?」という問いから出発している。本書の適応の概

念は、進化生物学的適応の概念に基づいている。すな

わち、「ある社会的行動が社会的環境において個人(血

縁者)の生存という最終目標にどのような意味で有利

になるか」という道具的適応である(これは「心が安

定する」といった心理情緒的適応とは機能的に区別さ

れている)。人の適応環境は、(人同士が協力したり

争ったりする)相互依存関係にある。そこで、人の適応

的行動が他者にとっての社会的環境を作り出し、それ

がその人の行動に再び影響するという個人(マイクロ)

と社会・集団(マクロ)の相互規定関係がある。本書

の第二の視点は、こうしたマイクロとマクロという異

なるレベルの関係を論理的に説明することである。

 それにつづく、第一部は「集団生活と適応」(亀田)

として、集団の中での人の適応行動を扱い、第二部で

は、「適応を支える認知」(村田)のメカニズムを取

り上げている。本書が、社会から個人へという従来の

テキストとは逆向きの記述をしているのは、社会的認

知過程や個人の社会的行動よりも、集団生活や人の社

会性を重視する立場を強調したものである。そして、

終章「統合的な社会心理学に向けて:試論または私論」

(亀田)では、メタ理論の重要性について論じている。

 第1章「社会的影響過程」では、人が社会的影響に

敏感に反応し、集団のメンバー間に行動や態度の斉一

性を生むことを、集団過程に関する古典的実験研究か

らさかのぼって説明している。そして、近年の社会的

インパクト理論に基づいて、マイクロ過程からとマク

ロ現象(斉一化と規範、棲み分けなど)がいかに生じ

るかを示す実験やシミュレーションを紹介している。

 第2章「社会的交換」では、「人はなぜ協力し、集

団を形成し、その集団に適応するのか」を社会的交換

理論に基づいて論じている。ここで、二者の相互依存

関係における適応を分析するゲーム理論は、従来のテ

キストに比べて、明快に説明されている。そして、応

報戦略が相互協力の状態を作り出す、適応的行動パタ

ンであることを示している。さらに、三者以上の相互

依存関係における、社会的ジレンマにおいては、「協

力行為がなぜ難しいのか」、また、「援助行動は援助

者にとっては適応的でないのになぜ起こるのか」とい

う問いは、読者の興味をいっそうかき立てる。

 第3章[グループとしての協調行動:集団を媒介とす

る適応]では、集団による問題解決や意思決定において、

(各メンバーのもつ知的資源の総和以上の)創発がな

ぜ起こりにくいのかを論じている。従来は、集団プロ

セスの損失としてメンバーのやる気の低下や相互調整

の失敗というネガティブな側面が議論されていたが、

ここでは、その非効率性には致命的なエラーに対する

グループ耐性があることを示唆している。また集団意

思決定において多数派が力をもったり、共有情報の確

認が重視されたりすることはメンバーにとって高い適

応価をもつことを示している。

 第4章「社会的環境と適応行動:"文化"の生成」で

は、社会環境(文化)と適応的行動の相互規定的関係

を、山岸や北山の研究を軸に検討している。

 第二部の「適応を支える認知」においては、第5章

「社会的認知のメカニズム:進化論的視点」は、社会

的環境のなかでも他者に対する認知が、いかに適応を

支えているかを、感情や社会的知性を含む多元的知能

といった新しい話題と、対人認知過程を中心に記述し

ている。

 第5章「集団間認知とステレオタイプ:ステレオタ

イプ化の過程」は、集団間の認知の問題として、内集

団のメンバーをひいきする一方、外集団メンバーに対

して偏見をもつことを、最近の社会的アイデンティテ

ィ理論、ステレオタイプ研究に基づいて述べている。

 終章「統合的な社会心理学に向けて:試論または私

論」は、まず社会心理学におけるトピックの多様性と

一貫性の不在について論じている。つまり、社会心理

学では、あたかも個々のトピックの成果を道具箱に入

れて、必要に応じて、取り出し、組み合わせて使われ

ている。本書が主張するのは、多様性を統合するメタ

理論の必要性である。本書の2つのメタ理論、すなわ

ち適応的視点によって、マイクロとマクロという異な

るシステムの関係を統合的にとらえる試みであること

を述べている。

 終章では、人間の社会性を考えるという目標は、社

会科学全体から自然科学の一部に及ぶ壮大なテーマで

あり、有効なメタ理論は、学問領域を越えて一貫した

知識を生み出すものでなければならないとしている。

そしてメタ理論の結果、生まれる統合的学問分野の名

称は「社会心理学」とよばれようと「認知科学」「行

動科学」とよばれようと些細な問題だと述べている。

つまりこの本のメッセージは、社会心理学を越えて、

心理学そして、人間に関する研究をめざす読者に向け

られているといえるだろう。

 

3.社会心理学と認知科学のコネクショニストモデル

  本書の主張と同じく統合科学志向を持つ認知科学に

おいて、(自分と同様の情報処理能力をもつエージ

ェントからなる)社会的環境における認知過程の研究

は、非常にチャレンジングなテーマである。本書の第

二部で紹介されているように、社会的認知研究は認知

心理学の方法と理論を、社会的対象の認知に適用する

ことで、顔、感情、信念、自己、文化などを支える表

象と処理過程をこれまで明らかにしてきた。しかし、

個人の認知過程(マイクロ)が主で、マクロとの関係

を明らかにする研究は、協同問題解決研究や社会的分

散認知研究など、まだ限られたものといえよう。

 一方で、認知科学は、神経科学や脳科学の影響を受

けて、認知神経科学や、それをモデル化したコネクシ

ョニスト(ニューラルネットワーク)モデルによって、

個人の認知過程よりもさらにマイクロなレベルの研究

が急速に進みつつある。

 こうした状況の中で、コネクショニストモデルは、

本書の視点である適応とマイクロ-マクロ関係をモデ

ル化する道具になりうると考える。たとえば、適応エ

ージェントの認知過程を支えるさらにマイクロな過程

は、脳の神経細胞をユニットとして、その結合パタン

や強度によってモデル化できる。その際に、神経科学

的事実との対応をとったり、進化的アルゴリズムでネ

ットワークの構造を決めたり、遺伝と環境による相互

構成的な適応過程のシミュレートができる。また、ス

テレオタイプ化などの明示的な規則化が難しい自動的、

無意識的処理過程や、認知的不協和低減のような多重

制約充足過程に関するコネクショニストモデル研究は

進行しつつある。一方、社会的影響過程などのマクロ

過程のモデル化に関しても、個体の脳(適応エージェ

ント)をユニットとしてその相互作用や、多数の脳が

集まることによる集団状態の創発過程をシミュレート

する試みも始まっている(e.g.,Read & Miller, 1998)。

 

4.まとめ:今後の統合科学の方法論

 今後の人間に関する科学は、遺伝子や脳の神経細胞

というマイクロから社会や文化などのマクロまでを扱

うような多層的なシステム間の複雑な関係を統合的に

説明することが必要である。マイクロシステムがマク

ロシステムをどのように支えているか、あるいは前者

が後者にどのように影響をうけているかについて、言

語だけでの記述や説明には限界がある。一方、実験や

調査は、異なるシステム間のある変数をめぐる因果関

係や相関関係を検証し、説明はできる。しかし、進化

や発達、社会的学習の時間や、社会という空間を実験

室ですべて再現するには限界がある。また、心理学実

験では、多くの変数や制約関係を同時に操作したり、

システム間のダイナミクスを検証するのは難しい。

 そこで重要となるのが、本書が取り上げているシミ

ュレーションモデルである。進化的シミュレーション

は、適応というメタ理論に基づいて研究するための重

要なツールであった。さらに、コネクショニストモデ

ルを方法論として加えることが考えられる。こうした

試みは、適応とマイクロ-マクロ関係の視点を統合し、

実験・調査データに基づくシミュレーションによって、

個々の実験間のギャップを埋めるような検証と厳密な

記述を可能にするからである。

 本書は、学部学生にとって最良の教科書としてだけ

でなく、人間と社会の複雑さに挑む社会心理学者そし

て隣接領域の研究者にとっても、社会心理学の100年の

成果をとらえ直し、今後の研究を考える上で、非常に

重要な専門書である。

          引用文献

 Read, S.J. & Miller, L.C. (Eds.)1998 Connectionist

models of social reasoning and social behavior. N.J.:

Lawrence Erlbaum Associates.