市民のリスク認知 Public risk perception

(新型コロナのリスク認知のケースを加筆)

楠見     京都大学大学院 教育学研究科

 

 定義 一般市民のリスク認知は,不確実な事象に対する主観的確率や損失の大きさの推定,不安や恐怖,楽観,便益,受け入れ可能性などの統合された認識である。それは,人に共通する情報処理能力の限界と,知識や価値観,性格などの個人差に依拠している。一方,専門家,企業,行政機関によるリスク認知は,専門的な科学技術知識に基づく確率推定や損失の量的測度,費用や便益などの計算に主に依拠している。 

 解説 市民のリスク認知は,専門家のそれと食い違いがある。しかし,市民のリスク認知は社会において重要な意味を持つ(Vertinsky & Wehrung, 1990)。また,そのリスク認知プロセスにおけるバイアスは,専門家にも共通する部分がある。

 日本における新型コロナウイルスに対するリスク認知は,2020年の1-2月頃は,従来のインフルエンザやSEARS等と同程度と捉えて,楽観的でリスク認知は高くなかった。しかし,3月下旬から4月に入ると感染への不安や高まり,リスク認知は高くなった(1波)。そして,5月下旬からは一旦下がったあと,7月中旬からは8月にかけて高くなった(2波)。それから10月にかけて下り,11月からは再び高まった(3波)。ここで,12月下旬において,4月以上の感染拡大があるにもかかわらず,リスク認知は4月と同じレベルではない。そして、20211月にピークを迎え、2月下旬には、低下した。

 2021年の4月からは、大阪府を中心に、変異種による感染が拡大し(4波)、7月下旬からは,首都圏,大阪などをはじめとして全国で過去最大の感染者数が出た(第5波)。第5波は,8月下旬をピークに感染者数が減少した。さらに,20221月からのオミクロン株の流行による第6波は,過去最大の感染者数となり,2月上旬にピークがあり,徐々に低下しているが,3月に下旬でも完全な終息はしていない。

 ワクチン接種については,1回,2回,3回の接種を終えた人は,80.7%,79.4,37.4%である(2022325日)。ワクチン接種行動には,副反応のリスク認知と有効性の認知が,影響を及ぼしている。

 

1.一般市民のリスク認知の重要性

 1.政策への影響:一般市民のリスクに対する不安や恐怖は,政策決定に影響する社会的力になる。たとえば,コロナウイルスのための非常事態宣言を求める、ワクチン接種を求めるのはその例である。

 

 2.市場過程への影響:一般消費者の商品に対するリスク認知は,市場に大きな影響を与え,間接的に行政に影響を及ぼす。たとえば,ある食品添加物に対するリスク認知が高まると,売り上げが落ち,また,行政への規制強化の要求がおこる。新型コロナウイルスに対するリスク認知によって,マスクが品薄になり,価格が上昇した。これは100年前のスペイン風邪のときにも起こった現象である。

 

 3.個人行動への影響:市民のリスク認知は,安全を高める行動に影響する。たとえば,エイズ感染の正確なリスク認知は,正しい予防行動を導き,患者への誤った忌避反応をなくす。また,保険加入行動は,金銭的損失を補償する行動である。新型コロナウイルスの場合は,市民は,マスクをする,外出を控える行動をとるようになった。

 

 4.専門家への信頼の影響:市民が得るリスク情報や対処行動には限界がある。市民は,専門家,行政や企業を信頼することによって,不安を低減し,リスク認知を下げる。逆に,事故によって,行政や企業が市民から信頼を失うと,市民のリスク認知は高まる。新型コロナウイルスの場合は,市民は,感染症の専門家の情報を求めている。感染拡大前は,リスクは感染予防の効果は小さいなどとする情報があるなど,専門家の間でもリスク評価に相違があり,市民はどの情報を信じていいのか分からないこともあった。

 

2 市民のリスク認知を支える情報処理過程

 1.リスク同定:リスク認知の出発点は,リスクの存在に気づくことである。市民のリスク認知は,あらかじめ知識や経験がある時は,敏感であるが,経験がない場合は,楽観的であり,鈍感である。マスメディアの報道頻度と内容の影響も大きい。日本における新型コロナウイルスに対するリスク認知は,最初の頃は,経験が無く,正常性バイアスによって,従来のインフルエンザ,SARS等と同程度のリスクと捉え,リスクを過小評価して,楽観的であった。

 2.リスクイメージの形成:市民はリスク事象の存在を認知したうえで,そのイメージを形成する。ここではマスメディアの影響が大きい。Slovic (1987)は2つのイメージの次元をあげている。

 第一の次元は,重大性のイメージである。リスクが制御できず,多くの人が被害に遭い,破局的な事態を導く場合は,恐怖を引き起こす。たとえば,原発事故がその典型である。新型コロナウイルスの感染拡大が,20203月のイタリヤや米国で制御できていないため,重大性のイメージを生み出す。

 第二の次元は,そのリスクが新しいリスクで,発生原因や被害が未知であるというイメージである。その場合は,行政への規制強化の要求が大きくなる。たとえば,バイオ技術がその典型である。新型コロナウイルスは,未知のリスクで,政府による対処が求められている。

 3.リスクの推定:市民は,リスクの起こる確率と被害の大きさを,ヒューリスティックス(発見法)を用いて,直観的に判断する。人には,認知能力の制約があり,すべての可能性を検討するのは認知的コストがかかる。そこで,ヒューリスティックによって,素早くおおまかな判断をする。しかし,ここには系統的なバイアスが入ることがある。一方,専門家の場合は,過去の統計データに基づく生起確率や被害の量的測度に基づいて計算する。しかし,統計的推論は常に正確に行うことができるわけではない。

  ヒューリスティックスにはつぎのものがある(Kahneman, Slovic & Tversky, 1982)。

 (1)利用可能性(availability)ヒューリスティック:人は,あるリスク事例を思い浮かべやすければ,その事例の生起確率が高いと判断する。一般に頻度が高い事例は低い事例よりも想起しやすい。しかし,思い浮かべやすさは,事例の頻度情報以外の影響をうけることがある。たとえば,航空機の墜落事故が起きた直後は,その事故のイメージが鮮明に思い浮かぶため,類似の航空事故の生起確率が過大評価されやすい。マスメディアによる海外における感染拡大による死亡者急増の報道は,イメージを鮮明にして,リスク認知を高めた。

 (2)代表性(representativeness)ヒューリスティック:人は,あるリスク事象の確率を直観的に判断する時に,限られた事例(標本)を用いて,事象全体の確率を判断する。その時に,ある事例が,そのリスク事象(母集団やカテゴリー)を代表していると認知できるほど,生起確率を高く判断する。たとえば,ある航空機事故例が悪天候や整備ミスなどの典型的な特徴を多くもつ事故の場合には,その事故の代表性が高いため,航空機事故全体の生起確率が過大評価されるのに対して,パイロットの錯乱のような特異な特徴をもつ場合には,代表性が低いため,生起確率が過大評価されることは少ない。また,ある事象の結果,つぎの事象が起こる連言事象は,シナリオとしての記述が詳細になる。したがって,リスク事象としてのもっともらしさ(代表性)が高まり,その連言事象の確率は,単独事象の確率よりも過大評価される。とくに,シナリオを構成して,頭の中で帰結を想像し,その起承転結のもっともらしさの程度に基づいて確率判断をすることをシミュレーションヒューリスティックという。そのほか,代表値(平均値,中央値など)を過大評価して,分布を過小評価したり,少数の標本にもランダム性が実現すると考えたり,標本のサイズや事前確率を無視して,その標本がどのくらい代表的かに基づいて,確率を判断することがある。たとえば,新型コロナウイルスに感染して死亡した有名人が,自分と年齢が近く,その背景が似ている時は,自分が属する年齢集団における代表性が高いため,自分も感染して死亡するリスクを高く認知することも生じる。

  (3)係留と調整(anchoring and adjustment)ヒューリスティック:市民は,最初に直観的に判断した値や与えられた値を手がかりにして,調整を行い,確率推定する。しかし,この調整を十分におこなわず,初期値にとらわれてしまうことがある。たとえば,新型コロナウイルスの場合は,前日の新たな感染者数が係留点として働き,それよりも多いか少ないかでリスク認知が変動することがある。

 そのほか,人には,低確率のリスクを過大評価する(例:殺人事件数),逆に,高確率のリスクを過小評価するバイアスがある(例:心臓病による死亡率)。

 

 4.リスク評価:市民は,リスクを受け入れられるかどうかで評価する。リスクの受け入れに関わる要因にはつぎのものがある。リスクが大きな便益をもたらす場合は,受け入れられやすい(たとえば,自動車運転のリスク)。また,個人が自発的にとるリスクは受け入れられやすい(たとえば,登山者や喫煙者にとってのリスク)(Starr,1969)。一方,不安や恐怖が強い場合には,市民はそのリスクを受け入れられない。市民は,新型コロナウイルスのような,生命に関わるリスクを受け入れるのは難しい。

 市民が受け入れるリスクの水準は,きわめて低いことがある。たとえば,健康や生命に関するリスクには敏感であり,事故,手術,副作用などのゼロリスクを求めることがある。

 すなわち,市民は,きわめて低い確率であっても被害が重大なリスクは,受け入れられない。被害の重大さで判断するためである。一方,専門家や行政機関は結果の期待値や,リスクとベネフィットに基づいて判断するため,あるレベルを設定して,それ以下であれば,「安全」とすることがある.

 そのほか,情報を,生存率のような肯定的(ポジティブな)枠組で与える方が,死亡率などの否定的(ネガティブな)枠組みで与えるよりも,リスクを受け入れやすい。これをフレーミング効果という(Tversky & Kahneman, 1981)新型コロナウイルスのリスクは,感染率,死亡率などの否定的フレーム(枠組)で与えられるため,リスクを受け入れにくい。

 

  5.リスクコントロール:市民は,認知したリスクの生起確率と結果の程度を低減するための対処行動(安全を高める行動や行政による規制の要求など)をとる。こうした対処ができないときは,認知を変え,行政などへの信頼を高めて,不安を解消する。したがって,リスクコミュニケーションは,正確なリスク情報に加えて,安全を高める行動やリスク対処スキルについての適切な知識を提供することが大切である。新型コロナの場合は,手洗いやマスク着用,三密回避など,リスク対処のための情報が提供されている。

 

 3.まとめ:市民のリスク認知の個人差

 以上述べたように,人のリスク認知には共通したプロセスとその認知的限界がある。そして,認知したリスクには個人差が生じる。それは,リスク認知の各段階で,性別,年齢,学歴,職業,価値観,性格,認知能力,知識などの個人差の影響を受けるためである。こうしたことにより新型コロナウイルスへのリスク認知には個人差が生じ,感染防止の方策をとらないで行動する人もいる。ここでは,「自分は新型コロナウイルスに感染しない」という非現実的楽観主義(免疫をもっていなければ感染リスクはあるにもかかわらず)に陥っていることがある。

 こうしたさまざまな市民のリスク認知を,政策決定に反映するためには,行政側が,リスクに関する事実と分析過程に関する情報をわかりやすく市民に提供し,市民の多様な議論や各自の選択を集約していくことが必要となる。これは,新型コロナウイルスの感染が長引くなかで,通常の活動をどのように続けるか決定する際に重要である。

 また,リスクをともなう個人決定においては,統計データに基づく合理的な決定よりも,個人にとって満足のいく決定をすることがある。たとえば,医療場面では,患者が,医師にすべてを任せるのではなく,十分な情報提供を受けた上での決定(インフォームド・チョイス)がありうる。これは,新型コロナウイルスのリスクに関わる意思決定が個人でできる状況において,個人が感染リスクを考慮しつつ,旅行に出かけるかどうかを決定する時,ワクチン接種を決定するときにもあてはまる。

 

引用文献

Slovic, P. (1987). Perception of risk. Science, 236,280-285.

Starr,C. (1969). Social benefit versus technological risk. Science, 165, 1232-1238.

Tversky, A.  & Kahneman, D. (1981). The framing of decision s and psychology of choice. Science, 211, 453-458.

Vertinsky, I.B. & Wehrung, D.A. (1990).  Risk perception and drug safety evaluation.  Health and Welfare Canada.

参考文献

広田すみれ・増田真也・坂上貴之(編著) (2018). 心理学が描くリスクの世界行動的意思決定入門 (3)  慶応義塾大学出版会 

Kahneman, D.,Slovic, P., & Tversky, A.(1982) Judgment under uncertainty: Heuristics and biases. Cambridge University Press.

吉川肇子(2000) リスクとつきあう-危険な時代のコミュニケーション 有斐閣選書

楠見 孝 (2001) ヒューリスティック,利用可能性ヒューリスティック,代表性ヒューリスティック,係留と調整,シミュレーションヒューリスティック 山本真理子ほか() 社会的認知ハンドブック 北大路書房

楠見 孝 (2007)  判断・推論におけるバイアス 稲垣佳世子・鈴木宏昭・大浦容子(編)新訂認知過程研究:知識の獲得とその利用 放送大学教育振興会 Pp.140-168.

楠見 孝 (2007).  リスク認知の心理学 子安増生・西村和雄() 経済心理学のすすめ 有斐閣

楠見 孝・上市秀雄 (2009). 人は健康リスクをどのようにみているか 吉川肇子() 健康リスクコミュニケーションンの手引き ナカニシヤ出版 pp.96-115

上市秀雄・楠見孝(2013).  リスク認知 矢守克也(編)発達科学ハンドブック7 災害・危機と人間 新曜社

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楠見 孝 2006 市民のリスク認知 第7章 3) 日本リスク研究学会() リスク科学事典(増補改訂版) 阪急コミュニケーションズ pp.272-273 を加筆修正(2022.3.27